たった1時間で受刑者に起きた奇跡(その2)

お金・仕事

前回の記事に引き続いて、札幌刑務所で講演を行った後、送られてきた受刑者の方々からのお手紙の2通目をご紹介します。(前回の記事はここをクリックするとご覧いただけます)

 

 

(「講演・人生自由自在を聞いて」(H.Tさん))

 

十一月の行事予定を見たとき、十二日「講演」となっていたので、「あ〜あ、またどこかの坊さんか偉い先生の難しい話なんだろうなあ。つまんないなあ」と正直思い、気が滅入りました。

 

更に悪いこと(?)に、その講演の感想文を書くようにいわれ、文章を書くのが苦手な私は、それが嫌で講演当日、仮病を使って欠席しようかと考えたほどでした。

 

当日、舎房を出て講堂に入り、椅子に座って待っている間も「どうか、あまりややこしい話じゃないように」と心で祈りながら黙想していました。

 

号令があり、目を開けてみるとステージ上に看板があり、『佐藤義塾 佐藤先生・演題 人生自由自在』と書いてあり、それを見て私は、「あ〜あ。やっぱり、どこかの偉い先生だ。こりゃ、困ったぞ」と思いましたが、

 

もうここまで来たらどうあがいてもしかたがない。よ〜し、こうなったら佐藤先生のいうことを一言も聞き漏らすまいと開き直り、腹を据えるとなんとなく気が楽になりました。

 

しばらくすると、厚生統括さんの大雑把な話があり、いよいよ講演の始まりです。

 

するといきなり女性の声のナレーションが入り、佐藤先生のプロフィールがテープから流れてきました。なかなか凝った演出の幕開けです。やがてそのテープも終わり、佐藤先生の登場です。パッと見た感じは、どこにでもいる普通のオジサンというのが第一印象です。

 

が、この人どこかで見たことがあるなあと思い、さっき聞いたプロフィールテープの内容を思い返してみて、ハタっと気づきました。東京・神田で立ち喰い形式のステーキ店「くいしんぼ」を開店したオーナー、その人ではありませんか。

 

二、三ヶ月前のテレビ(確かスーパーテレビで、激化するレストラン戦争という内容だったと思います)の中で、大声で店長以下社員に喝を入れていた人で、なんてタフで精力的な人なんだろうという印象が残っています。

 

今、その人が目の前で話をしているのだと思うと、なんとなく親近感を覚え、講演が始まる前の緊張感やプレッシャーがまるで嘘のようにスッーっと消え、リラックスでき、次はどんな話が出るのかと楽しみになってきて、どんどん引き込まれていきました。

 

佐藤先生は地元、北海道・美唄の生まれで、貧しい家庭に育ち、つっかえ棒をした家に住んでいたほどで、それが恥ずかしくて友達を家に呼べなかったという苦い経験もあり、その他いろいろな苦労などエピソードを交え、わかりやすく語りかけるように話してくれ、そのときの気持ちが滲み出て、こちらにシッカリ伝わってきました。

 

もう貧乏は嫌だ。きっと金持ちになってやるぞという一心で、中学を出ると同時に東京に出て来て、定時制の学校に通うかたわら、皿洗い、化粧品・宝石のセールスマンなどと職を変え、ついには年商何十億円という実業家になるまでには、数え切れないくらいの失敗、苦労があったはずなのに、それら苦労をものともせず、つぎつぎと乗り越え、自分の人生の糧、エネルギーとしていく話には、驚くものがありました。

 

とくに先生の話の中で印象に残ったのが二つほどあります。まず一つは「人生、何事もプラス思考」。失敗は成功の元というように、すべて良い方、良い方と思う心。これが大事だということです。

 

仕事をするにも、受け身じゃなく、積極的に自ら進んでやることが大事。どんな仕事でも人にやらされていると思うと嫌になるに決まっています。そうじゃなく、自分のために、自分から進んでやれば、辛い仕事も楽しいものになると言いたいのだと思います。

 

ややもすると、われわれも受刑者はなぜ働かなくては?と疑問に思うことがあります。が、しかし、これも社会復帰に向けての試練・糧と思えば、大した苦にならないんじゃないでしょうか。私は佐藤先生がそういいたかったのだと思います。

 

そしてもうひとつ。

 

「親と子の関係がうまく運べば、人生すべて円滑。親子関係は人の世の原点」

 

この言葉に私の胸は痛みました。というのも、今回で三回目の受刑生活となります。が、犯罪の道に走るようになってからというもの、田舎の母には何の連絡も入れず、ただ自分自身の欲望のなすがままに生活し、今では生きているものやら、死んでいるものやら、それすら定かではありません。

 

われながらなんと情けないことか。いえ、今まで何度か電話をしよう、家に帰ろうと思い、途中まで行ったことはあります。が、そこで足が止まってしまうのです。怖いというか、恥ずかしいというか、勇気が湧いてこないのです。

 

でも、先生の話を聞いて、チョッピリ勇気が付きました。まだまだ先の話ですが、ここを出所したら今度こそきっと母親の元へ顔を出そうと思います。会ってくれないかもしれません。

 

それでもかまいません。とにかく一度、生まれ育った故郷に帰り、一からやり直してみようと思います。

 

急にこんな気持ちになり、私自身、変な気分です。が、これも佐藤先生のおかげです。ほんとうにありがとうございます。

 

最後になりますが、お忙しい中、われわれ人生の脱帽者のために貴重な時間を割いてくださり、ほんとうに心からありがとうといわせてください。額に汗をかくほど、熱弁を振るってくださり、ほんとうにご苦労様でした。

 

 

私は先生のいわんとしていることをよく理解し、実践し、今までたくさんのかたに迷惑をかけてきた分、今度は少しでも人さまのためになるよう生きていこうと心に誓いました。たった一度の人生だから。

 

(お手紙の内容ここまで。以下、佐藤康行著書「生き方教室」より引用)

 

刑務所に入っているような様々な失敗をしている人、悩んでいる人、苦しんでいる人の方が救いやすいのである。

 

なぜかというと、ちょうど振り子の振幅の度合いと同じで、悩んでいる振幅が大きいと、それだけ気がつく振幅が大きいからである。

 

何も考えていない人は振り子が動かない。刑務所に入っているような人たちは、イヤでもそういうところに閉じ込められているから気がつかざるを得ないのである。

 

これを日本の浄土真宗を広げた親鸞上人が「善人なおもて往生す、いわんや悪人をや」といっている。善人ですら救われるのに、悪人が救われないわけはない、悪人の方が救いやすいというのである。

 

悩んでいる人、苦しんでいる人、そういう人の方が救いやすい。ましてや、病気の人も救いやすい。先ほど述べた、振り子が振れたらその分、反対の方に振れるからである。ということは、気がつくチャンスなのだ。こちらに行った分、これだけ気がつきなさいよということなのである。

 

だから、当然そういう人の前で話すと、だいたい本当の自分が出て来て、涙が出てくるか苦しむか、ああ、私は間違っていたと頭を抱えてしまう。俺は何をやっていたのだろうと、気がつくのである。

 

先ほどの受刑者の感想文には、自分は全く文才がないようなことを書いていたけれども、ものすごい才能を感じる文である。

 

この文章は、誰かに評価されようと思って書いていない。普通の人が一般社会の中でものを書くと、どう評価されるか、うまいとか駄目だとか、買ってもらえる買ってもらえないとか、計算がある。

 

この受刑者はただ感じたことを書いただけで、世の中にどれだけの反響を及ぼすかなんて、何にも計算していないのだ。だからこそ凄いのである。これは私が行う真我開発の大きな特徴である。

 

その刑務所には、七百十一人の受刑者がいた。私は刑務所の所長に電話して、できればマイナスのコメントもいただきたいとお願いした。私にとっては良い修行の場であるから、良かったというコメントではなくて、全然わからなかったとか、そういうのを是非いただきたいとお願いしたのだ。

 

すると、申し訳ないけれども、そういう感想文は無いと言われたのである。反論や反発も一切なく、すごく良かった、感動した、という感想しか無かったそうである。

 

こういうケースは珍しい。今まで無かったと言われた。たった一時間で受刑者たちは変わったのだ。

 

あなたは、この内容でどのくらい変わるつもりだろうか。是非、人ごとと思わず、ご自分の人生に当てはめて考えてみていただきたい。

 

 

(佐藤康行著書「生き方教室」より引用)

 

 

以下は実際に届いたお手紙の写真です↓f:id:shinganojissenkai:20190916112956g:plainf:id:shinganojissenkai:20190916113038g:plainf:id:shinganojissenkai:20190916113140g:plain

 

 

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