(佐藤康行著書「真我」第34巻より引用)
人は、いろいろな呪縛にかかっている場合があります。人が自分のことをこう思っているのではないかなどと想像で一人相撲をして、常に誰かに縛られているような錯覚をしています。
新井美奈代さん(仮名・43歳)は、主婦として家族に縛られ、家に閉じこもっていなければならないことに不満を感じていました。何か仕事をして経済的に自立し、自由になれたらいいのにと思っていたのでした。
しかし、彼女も真我に目覚めると、誰も自分を縛ってはいなかったことに気がついたのです。
「もう、すごく楽になりました!前は気づかなかったんですが、今までずっと〝主婦だから、母だから、妻だから、嫁だから、ああしなければ、こうあらねば〟というさまざまな考えに縛られて生活してきたんだ、ということがわかりました。そういうのが全部スカーンと抜けて、したいことすればいいじゃない!って思えるようになったんです」
彼女は、今までまわりの目を気にしてできなかったことをやるようになりました。
「友達と夜飲みに行ったり旅行に行ったり、食事の後ゴロンと横になってみたり、掃除をさぼってみたり、主人がテレビを見ていても、自分は自分で好きな本を読んでいたり・・・。
それで驚いたことは、こういう私に対して家族は何もいわず、総てを受け入れてくれるということです。誰も、私を縛ってなんかいなかったんだ。自由を奪っていたのは自分自身だったんだ、と改めて思いました。
今では、やりたいように何でもできて本当に幸せです。新しくトライしてみたいことも、たくさんあります。毎日が楽しいし、未来も希望でいっぱいです!」
彼女は、何も自分を縛っているものはなく、縛っていたのは自分だけだったということに気づいたのです。これは、ものすごく大きな気づきです。
ほとんどの方が、見えないものに縛られ、自分で自分を縛り、牢屋に入れてカギをかけて動けないようにしています。そして、金縛りにあったり、落ち込んでいったりします。まるで夢を見ているのと同じです。
私たちは本来、自由なのです。一切、自分を縛る人はいません。例え牢屋に入れられたとしても、心までは縛られないのです。
もともと私たちは自由なのです。そのことに気づけばいいのです。自分の深い真我の自由を味わった時に、本当の意味で心は解放し、心から人を愛せるようになるのです。彼女は、そういう意味で、大変幸せな人だということができるでしょう。
では、私たちが不自由になるのはなぜでしょうか。それは、人にこう思われたい、こう見られたい、愛されたい、というようにいろいろなことを考えて、人の目を気にし過ぎるからです。
それから解放されるには、真我の愛、自己の内にある神の愛に目覚めることなのです。神の心で人と付き合った時、人対人の壁も一切の障害物もなくなるのです。まわりにいる総ての人は、みんな愛を求めているのです。そして、みんなが愛そのものだと気づいた時、自分と他人の境目がなくなるのです。
その時、本当の意味の自由になることができるのです。自由というのは、壁がなくなることをいうのです。
(佐藤康行著書「真我」第34巻より引用)
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