(佐藤康行の元に届いたお手紙と実際のやりとりです)
「我が家の殺傷事件」
私が幼稚園生の頃、我が家で殺傷事件が起きたようです。妹は死に、私は外傷を負いました。が睡眠中の出来事であり顕在意識の記憶はないと思っています。
事件を知るキッカケはお婆さんが怒ったとき『おめぇは昔、お父に出刃包丁で刺されて心臓から血が吹き出とった!お母ぁはビックリして小便もらして!』と言うと母は『お婆さん、それだけは言わんで!』と言っていたことです。
しかし、私が母に手を引かれて近所の店から帰っている映像が記憶に出て来ます。
その中で母は「お富さん」を歌っていて『死んだはずだよお富さん・・・』それを考えると、きっと死んだとみえとお富さんを重ねて悲しさを耐えていたのかな?と今にしてみれば思います。
後年(10年ほど前)新宿にあったアイジーエーと縁ができた後、鬱っぽく仕事に就けず当時アイジーエーのスタッフに相談していた時に佐藤学長が来られ、
『Yさん全て愛だったんですよ!お父さんは死ぬ気だったんですよ。でも幼い子供を残すのは不憫で、先に殺して後から自分が死ぬ気だった、ところが我に帰り死ねなかったですよ』と言われたのですが、
私自身記憶になく他人事のように学長の言葉を聞いていたのでしょう?学長から『Yさん!あなたに言っているんですよ』と言われたことを覚えています。
『Yさん!何を言ってもいいですか?お父さんのあったこと いいですか?』『私はなぜか10年前に聞いたYさんのお父さんの話覚えているんですよ!それは凄いことで・・・・・この満月の法則でしか解決できないんですよ!』と言われました。
が!正直その時も私の心は『あ、あ、そうなんですかねぇ????・・・』と鈍いかぎりの心の反応でした。
そして!そして!今から1週間ほど前、母の家に行った際、父がなぜ犯行に及んだのかのこととなりました。
何度か聞いたことはあるのですが「塩害で田んぼが完全に全滅した精神的ショックより」ということは聞いていたのですが、本当に父は事件のことを何と言っていたのか?その事件の時私はどうだったのか?なぜ事件の大きさの割に1年そこそこで帰って来れたのか?その他諸々質問してみたのです。
すると『なぜ?』という点で、母が刑務所に何度か面会に行った際、一度だけ話したそうです。
何と!それが学長が言われた通りだったそうです。
つまり、父は自殺を考えた時、我が子が可愛く忍びなく、まず子供を刺し自分もと考えたそうですができなかったそうです」
また、その他のことも母が話してくれました。
母の話を聞くなかで「Y家の因縁を断つ、私の為必要!」と考えて聞いたのですが、母は『昔の事を思い出すと寝られんようになる』と言っていました。
父は6年前に亡くなりましたが、事件後宗教に入り『自分は業が強いので、生きてる間に消えるかどうか』と言っていたことも今にして思い出されます。 以上 平成29年5.6記す
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